日防軍

 関連項目
 フォーラム

 
核保有国と対等な関係で外交を展開するための力の象徴を得るため、USN軍が実用化したMIDASを内閣承認の下、日防軍が強奪。積極的防衛策を掲げる日防軍の思想とも合致した計画ではあったが、MIDASの奪取成功に安堵し、変化のみられない政府に軍部の右翼派がクーデターを蜂起し、首相の身柄とMIDASを確保。


ストーリー分岐で以下“アリサ編”

日防軍の佐々木参謀長が練馬第1師団・相馬ヶ原第12師団・真駒内第15師団・福岡第4師団・那覇第1混成団・横須賀海軍基地を率いてクーデター軍を構成し武力蜂起。守山第10師団・千僧第3師団・熊本第8師団を制圧した。また、ルカーヴ・ミナエフと協力体制をとってもいる。さらに、日防軍部隊とイマジナリーナンバー部隊は中立を保っていた海田基地を攻撃するが反撃されたため、ミサイル攻撃で強引に制圧。

佐々木派の工作によりクーデター首謀者に仕立て上げられた武村大佐は呉海軍基地に潜み、反佐々木派を指揮。武村は傭兵部隊“呉龍”とともに帯広へ渡りクーデター軍と敵対する第7師団と合流後、同師団を仙台へ移送し、さらに福島第6師団と合流させ、相馬ヶ原第12師団との戦闘に備えた。また、別働隊は名古屋の化学工場でクーデター軍に拘束されている守山基地の磯貝司令の救出し協力を要請するが、守山は中立を主張。

郡山のクーデター軍の拠点を制圧。要所の陥落で相馬ヶ原の一部が投降。クーデター軍は建設中の郡山高層都市に本部を置き、相馬ヶ原の第12師団を展開。政府軍は阿武隈川近くなどで交戦しながら進軍。クーデター軍本隊に到達し、第12師団(野中中佐)は劣勢が明らかになると投降し政府軍に加勢。その後、千葉の保養地に軟禁されている岡元首相を救出し、首相は声明を発表。危機感を感じた佐々木派幹部は寝返り、佐々木参謀長を逮捕。政府軍は熊本の残存勢力を鎮圧し終結。

赤■‐クーデター軍(佐々木派)、‐反佐々木派、灰■‐中立
※2色に分かれているものは途中で情勢転化を表す。



ストーリー分岐で以下“エマ編”

佐々木参謀長を首謀者とする軍部によるクデーターが発生。反佐々木派を牽引していた武村大佐は、佐世保基地に熊本第8師団など宮崎・鹿児島の兵力を結集させようとしていたが、佐世保基地司令の河田が佐々木派に加わることを察知し、集結しつつある部隊に帰還解散命令を下した。河田司令は武村の身柄を拘束。

酒天童子山にて田中率いる福岡の第4師団が政府軍側の小編成部隊と交戦。その隙をついて、熊本の第8師団は熊本基地(谷山司令)へ帰投し、合わせてを宮崎、鹿児島の各部隊が熊本へ集結開始。

大漢中軍がMIDAS奪取を目的に沖縄海洋都市に侵攻することを憂慮したクーデター軍は武村少佐を停戦提案の使者として熊本に送り、政府軍はこれを受諾し、クーデター終結。しかし、佐々木や黒井少佐など一部の部隊が反抗活動を継続。特殊部隊黒井と佐賀の部隊が第8師団の無力化を試みて2度の侵攻を行うがいずれも失敗。政府軍部隊の熊本基地集結が完了する。

クーデター軍は福岡、久留米、佐世保の部隊を再編成し、大牟田経由と阿蘇山経由の2ルートで侵攻を開始。政府軍は阿蘇山麓と大牟田市に展開し迎撃し、クーデター軍は撤退。

ルカーヴ・ミナエフがM.I.D.A.S.奪取の作戦として大漢中艦隊とイマジナリー部隊を日本へ派兵し、沖縄海洋都市全域と沖縄本島の一部を制圧。この事態を憂い、武村は停戦を佐々木参謀長に打診。佐々木はこれを受諾し即時停戦。

赤■‐クーデター軍(佐々木派)、‐政府軍(反佐々木派)



●毎度のことだが、和輝が大活躍!、アリサが爆死、エマが廃人などは、巨視的に見れば些細なことなので取り上げていない。和輝の視点で今回の事件を追えば、黒井が…、ルドルフが…といろいろ書けるが、重視しているのは世界、国家、組織の動向。詳細はパーフェクトワークスでわかるというのもある。
●上掲の地図上は略図なので、大半の日防軍基地/駐屯地などは省いている。詳細は[日本国防軍]を参照。また、中立の基地などは特定できないのでこれも載せていない。