アフリカ紛争



西アフリカ解放戦線(WALF、West African Liberation Front)
元WA大統領エンコモを指導者として、反ギゼンガ派のエイモス・イレオ少佐とその友人ユージン・ボルヒェルト(ミハエル・ランドルト)を中心に組織されたギニアナ崩壊を目指す反政府組織。元の名を「戦士の槍」。

エイモス・イレオ(Amos Ileo)
2002年生まれ?(2034年時、32歳)、身長174cm。元WA陸軍少佐。ギゼンガによるクーデターの際、大統領を救出。戦士の槍中心メンバーとして指揮をとる。ギニアナ攻略作戦では、彼を通じたWAのロリングソン空将の協力によりラゴスを制圧に成功している。

ZAINGO(Zaius Independent Government)

2034年3月、CA(中部アフリカ共同体)政権に反発するCA北部州方面軍(首謀者:陸軍大佐ザイアス・チャルマンギマ)が、シンセミアやバミア団の支援を受け独立政府ZAINGOの樹立を宣言し、北部の山岳地帯に機甲部隊を含む武装部隊を集結、共同体に対して攻撃を開始、アフリカ紛争の引き金となる。ECからの支援を受けていたが、同年7月、OCUとSAUSの連合軍により壊滅した。

ザイアス・チャルマンギマ(Zaius Chalumangima)
1997年生まれ?(2034年時、37歳)、身長186cm。シンセミアやバミア団の支援を受け、2034年に独立政府ZAINGOを樹立。同政府壊滅後、シンセミアにより殺害?

ニアンゴ山岳要塞

要塞はトーチカに守られ、耐爆能力がある地下施設を備えていた。地上には、平時に基地となる管制所と格納庫へと続く昇降ヘリポートがのみで、司令所など安全な地下深くにあると推測される。要塞を囲む岩山にはトーチカがレーダーと共に設置されていた。

トゥアルバ補給基地

チャド湖東、トゥアルバ近くの廃棄された化学プラントを利用したZAINGOの補給拠点。施設への出入りは地下排水路や集合パイプラインを使って、この付近の数ヵ所からできた。近くには西のWAとの国境へ伸びるトンネルが掘られ、紛争時はこのトンネルを経由してギニアナから物資などがZAINGOに供給された。

バミア団
(Bamia)

アフリカ紛争時、ZAINGOに雇われていた3名からなる傭兵部隊。ZAINGOの戦闘顧問であったシンセミア小隊からCA攻略を任され、ニアンゴの山岳要塞を本拠としていたが、IMACにより攻略された。、北と東アフリカを中心に活動。所属者にバリー(Barry)、ミンゴス(Mingos)、アンドリュー(Andreau)

ギニアナ/ギニア湾岸諸国統合体

アレクサンドル・ギゼンガ陸将が蜂起した2033年末のクーデターで樹立されたWA地域の呼称。理想的政策を掲げたことで民衆から支持を得ていたが、次第に弾圧・粛清の支配体制が強化され軍事政権へ変貌。翌年9月、CA、SAUSの支援を受けたWALFにより崩壊した。

アレクサンドル・ギゼンガ
(Alexandre Gizenga)

1983年生まれ?(2034年時、51歳)、身長168cm。元WA陸将。クーデターを蜂起し、ギニアナの大統領の座につく。ギニアナ崩壊後、逃亡先のUNAS領内で死亡が確認された。

アトラス防衛部隊
UNAS軍に所属する精鋭?部隊。アフリカ紛争時には、ECの協力な支援の下、最新のWAWを配備をし、SAUS・WAの侵攻を食い止めたが、IMACにより撃破された。
 
 
2034年、CAのクーデターやギニアナとWALFの対立が発端となりアフリカ全域に広がった紛争。 2035年にWAエンコモ大統領とUNASジェバール議長の直接対話によって終結。

紛争勃発・長期化の原因ひとつにアフリカでの影響力獲得を狙ったEC、OCUの介入が挙げられる。ECはUNASを、OCUはSAUSを支援し、また各陣営の兵器メーカーの製品、特にWAWの絶好の試験場として紛争が利用されてもいた。さらにECは資源国・拠点確保のためアフリカ地下人工湖計画を推進しUNASとの関係を深め、同時にUNASにOAC設立を促し、それを足掛かりとした主導権の獲得を目論んでいた。また、対テロ部隊としてグスタフ・ゼルマンや傭兵部隊を送り込み、アフリカ各地の情勢を悪化をさせてもいる。

ZAINGO、ギニアナの崩壊にIMACが多大な戦果を上げたことでWAが早期復活を果たし、エンコモ大統領のアフリカ主導政策が各国の支持を集め、UNASのジェバール議長と和平を合意に至った。また、OACの結束が強まったことなどにより、UNASにおけるEC影響力が低下したため、アフリカ紛争を「他国の干渉を排除した聖戦」とする見方が主流になっている。

アフリカに派遣されたゼルマンは、ECから与えられてた任務とは別に、闇市場で売りさばくために「黒シケイダ」と呼ばれる安価で高性能のWAWを施設の秘密工場で製造。地下人工湖計画の水路を利用して輸出するルートを構築していた。紛争の裏に動いていた大国とこのゼルマンの謀略は、SAUA情報部の調査によって明らかになったが、これにもIMACが大きく貢献している。
 
     
 
 
前期
 
ZAINGOの勢力拡大に対しCA政府首脳は危機から国外へ脱出したため、残された若手や良識派の政府関係者が体制の立て直しに奮闘したが、対抗できるだけの戦力がないCA政府の防衛部隊は劣勢が続き、防衛線は後退の一途を辿った。その間、ZAINGO軍はギニアナからWAWなどの援助を受けて戦力を拡充し、北部地域の支配を終えるとコンゴ盆地へ侵攻。一時、アルウィミ川防衛線は主要都市キサンガニ西方60キロにまで後退した。

圧倒的な戦力差に打開策の見出せなかったCAは、SAUS(南部アフリカ共同体)に支援を要請。同年4月、事態を重く見たSAUS政府は、内部の親OCU派の後押しにより?関係の深いOCUに協力を打診。OCUは各共同体政府への配慮から大規模な軍事介入を避け、急遽編成した戦闘用WAWからなる特殊部隊の史上初となる実戦投入を決定した。
OCU軍編成によるWAW部隊IMAC(当時、第1小隊のみ)がキサンガニに迫るZAINGO軍の前線を突破。イティンビリ戦線を破り敵の主力部隊駐屯地へ向かう進軍路確保し、CA民兵軍による反撃の足がかりを作った。さらに同部隊は、ゲメナ付近の森林に駐屯するコンゴ盆地侵攻作戦の主力部隊ジャングルキャット(密林戦を得意とするためこう呼ばれる)を撃破。指揮系統を断たれたキサンガニ包囲網は、SAUSの兵器給与を受けたCA民兵軍による一斉反撃を受け、ヤホレンデへの撤退。ZAINGO軍は、CAの反抗作戦に対し、中継拠点ヤホレンデにWAWを含む戦力強化を試みたが、防衛線が整う前にIMAC(全2小隊)による速攻を受け、戦線はZAINGO重要拠点のボンゴ山地にあるニアンゴ山岳要塞にまで後退。続いてIMACは、バミア団が防衛にあたっていた同要塞を攻略したが、ザイアスはチャド湖東のトゥアルバTOURBA近く廃棄された化学プラントを利用した補給拠点に退避していたためZAINGO壊滅には至らなかった。

第3小隊が加わり中隊となったIMACは、シャリ川支流に展開する補給基地の防衛部隊(強化型WAW配備)を撃破。さらに、最終補給拠点のプラントをにおいて守備隊を撃破。施設に空爆も行い、ZAINGOを壊滅状態に追い込んだ。拠点跡からはギニアナから運びこまれたと思われる多数の軍用コンテナを含む兵器格納庫と、国境に向かって西方に伸びるトンネルが発見された。これにより、SAUSはギニアナがZAINGOへ武器供与など行っていたことを確認。これらの状況を総合し、ZAINGO軍の戦力となったバミア団とWAWなどの兵器は、CA国内に混乱を生じさせて、CAからWALFへの支援を停止させるため、シンセミアが送り込んだものであると判断。実際のところ、ザイアスはシンセミアらに利用されていたがために、多くの支援を得ることができていたが、シンセミアの真意に気がついてバミア団を捨て駒にして生存を図ろうとしたところ、シンセミアに殺害された思われる。
 
中期
ギニアナに対し抵抗活動を続けるWALFへSAUSによる本格支援が開始され、サンガナビーチから上陸し進軍。直後、ルシアス・エンコモ、エイモス・イレオ、ユージン・ボルヒェルトらWALFの主要メンバーの乗ったホバータンクが、敵に捕獲されかかったところをIMACが救出に成功した。

その後、補給拠点の確保、ゲリラ掃討部隊の足止め、アブジャ攻勢の陽動を兼ね、エクスラボスの海岸線上に展開するギニアナのゲリラ掃討部隊を排除しつつ、IMACがレッキ新への進軍ルートを確保、港を制圧。SAUSによる陽動が奏功しWALFのアブジャ攻勢は成功。ギニアナの管理下にあった放送局を奪回。WALFへの協力を呼びかけると、ギニアナ各地の勢力が団結し西部で反政府軍団が形成され、イレオの指揮によるラゴス軍指令本部への包囲作戦が開始された。戦局の膠着を打開するためIMACが背後のヤバ地区へ進軍。ラゴス島の戦況が不利、と判断したギゼンガはラゴス本土のヤバ地区に退却。軍司令部は、ギゼンガに対して不満を持っていたギニアナ空軍の協力により攻略された。2034年9月、IMACとWALFはラゴス・ヤバ地区を包囲し制圧に成功。ギゼンガは逃亡したが、ギニアナ軍事政権は崩壊し、西アフリカはエンコモが大統領再選を果たしWAが復活。ギゼンガ体制への移行を許した前政府の問題点を改革。民衆の大きな支持を得た。
 
後期
ギゼンガの消息に関する情報として、OCUは、サハラ辺境においてギゼンガの勢力立て直し、またUNAS領での略奪の被害などの報告が確認されたと偽の情報をSAUSへ伝達。実際にはギゼンガはすでに死亡していたが、このギゼンガの行動は信憑性のある情報として共同体規模の問題として扱われ、UNASの圧力も加わりOAC決議により、ギゼンガ及びギニアナ残存部隊の追討作戦が計画され、その先鋒としてIMACのUNAS領への進軍命令が下った。SAUSやWAの部隊は偽装情報に騙されたまま、ギゼンガのいないUNAS領に侵攻し、UNASの拠点のひとつであるクサービを制圧

UNASは正規軍を本格的に戦線に投入。ターギットでSAUS?の大規模部隊が最新型WAW(WAP)シケイダを配備したUNASのアトラス防衛部隊に撃破された。アトラス隊はEC軍編成による部隊で、ECはこの部隊の投入でSAUS侵攻を止めることにより、UNASでのECの影響力を強めようと考えていたが、続いて進軍してきたIMACに撃破された。

この頃、ECの影響力は弱まり、UNAS内部ではEC寄りの方針に対し反発が高まってもいた。また、WAがOACの主導権を取りつつあり、政権の整ったCAがこれに賛同。EAもSAUSの侵攻に不信感を高め、同調しつつあった。EC支援のUNAS対WA・SAUS連合との全面戦争の危機は、2035年1月のWA大統領エンコモとUNAS統合議会議長ジェバールとの直接対話によって回避され、紛争は終結。

2034年4月、エンコモの呼びかけにより、諸外国により干渉されないアフリカ主導の再建運動が始まった。
再建運動支持派の拡大で、SAUSの親OCU派勢力は弱まり、既に協力体制にあった中部・東部・北部に南部が加わった。2035年5月、エンコモが共同国家宣言。
 
●上掲の地図2点で記されたWAとの境界は参考程度のもの。
●余談だが、最終決戦地のティムガッド遺跡は世界遺産のひとつ。ゼルマンがデモンストレーションで破壊したのは、おそらくトラヤヌス帝の凱旋門。